Pyramid of Life

なぜ私は社会のしくみを問い始めたのか

— 恩源のピラミッド —

フクダヒロシ、五十歳の振り返り

prototype — v0.3

フレームワークを物語形式で導入するフォーマットの実験。文面は仮置きのプロトタイプ。

第一章 始まりの母

誰にとっても、最初の他者は母である。フクダヒロシにとってもそうだった。

母は、ヒロシのすべてを肯定してくれる人だった。乳幼児のヒロシは、母なしには生きられなかった。母にもらったスヌーピーのぬいぐるみを抱いて、母の帰りを待つ写真が、いまも残っている。坂の上の墓地の隣にあった古い木造屋で、母が五右衛門風呂を沸かしている姿を、ヒロシは思い出す。

三人の子の子育て、時代の荒波、闘病。母には苦労が絶えなかったはずだ。それでも母は、毎日を一生懸命に、そして楽しんで生きていた。柔らかいけれど芯の強い、その姿が、ヒロシの土台になった。

実家を離れて何十年経った今でも、ヒロシは自分の中に母の気配を見つける。真面目さ、創意工夫、目の前のものを面白がる姿勢。それは血ではなく、母の毎日の振る舞いを通して、知らぬ間に受け取ってきたものだった。

親子は、強い親が弱い子を守るというだけの構造ではなかった。親もまた一人の人間として、苦労を抱えながら毎日を生きていた。子はその姿を見て、価値観を受け取っていく。返しきれぬ恩は、次世代に送っていくしかない。

思春期に芽吹いたものが、最初の蔦になることを、当時のヒロシは知らない。

家層、点火

第二章 学校教育

フクダヒロシは、小学校から大学まで、一貫して公立学校で育った。

学校という場の枠の大きさは、ヒロシも理解していた。長い時間が投じられ、誰もが労力をかける。重要であるはずだ、と思っていた。

しかし中学・高校のヒロシが嫌っていたものは、はっきりしていた。意味のない暗記。実用を想定しない理数科。一つの尺度で偏差値を競うだけの進路選択。目的のない能力強化、目的のない競争。意味への思考停止を求められるような鍛錬。高校までの勉強は、ヒロシにとって偏差値攻略ゲームでしかなかった。

枠の大きさは知っていても、その中で自分が益を得ているという実感は来なかった。重要そうな場であることと、自分にとって価値のある場であることは、別だった。

大学に入って、よく生きるための教養課程の授業に出るようになって、ヒロシは初めて、知的好奇心を刺激された。それまで学校で感じてきたことは、思い込みではなかった。教育という営みは、本来こちらの方向にあるはずだ、とヒロシは確信した。

教育は強ければよいというものではない。どんな人間を育てるかを見誤っていれば、有害でさえある。教育観は国家レベルで間違いうる、危ういものだ。ヒロシは強い危機感を持っていた。

学校への違和感は、その後の仕事での力の発揮の仕方でも裏付けられた。後年、大人になって取り組むことになる国際比較の中でも、日本の最大の課題として、はっきり浮かび上がってくる。

枠は大きい、しかし恩は来ない。
恩を運んでこなかった層にも、確かに、何かが起きていた。

組層に陰

第三章 自分の頭で考える

十代後半のヒロシは、自分の力で生きていく道を探していた。

レール教育の不毛を感じながらも、ヒロシは怠けたかったわけではない。むしろ逆だった。最大限の努力を投じるかどうかで、能力も結果もまったく変わってしまうことを、身体で知っていた。だから濃い毎日を過ごそうとしていた。

ただ、その努力をどこに投じるかが問題だった。学校の用意したレールに沿って走り続けることが、本当に意味のある努力なのか。ヒロシはそれを疑っていた。

大学二年で、ヒロシは休学を決意し、ある芸術家のもとに住み込みで弟子入りした。芸術家は学歴を持たず、独力で表現の道を切り拓き、世界に名を知られるところまで上り詰めた人だった。レール教育を信じていないヒロシが、その人に惹かれたのは自然だった。

芸術家から学んだことは、技術ではなかった。生き方だった。

レールでのお勉強より、リアリティある経験から自分の頭で考えや。芸術家のその姿勢は、ヒロシの中に深く入った。学校教育が削ぎ落としてきたものを、ヒロシは芸術家のもとで取り戻していった。

濃い毎日を生きること。自分の頭で考えること。それが自分の生き方の核になった。

レールの外で価値を作る人がいる、と知った日から、
自分の足元の意味は、自分で作るものになった。

我層、自己投資の点火

第四章 19歳のバックパック

休学した一年で、ヒロシはもう一つのことをした。

世界三十カ国のバックパッカー旅行だった。途上国を中心に世界を放浪して、ヒロシは驚愕した。日本で育ち、暮らすことが、他国と比べて、あまりにもイージーで、あまりにも快適だった。それまでヒロシは、日本の暮らしやすさ、インフラ、教育水準、経済優位を、まったく認識できていなかった。

自分のそれまでの優位の出所を、計算し直すことになった。ヒロシの標準規格での優位性は、日本のインフラの上のものだった。九割は日本に生まれたから到達したもので、残りの一割を努力差分で勝ち抜いた程度の誤差でしかない。そう思い知った。

自分で確立してきた「自分の頭で考えて価値を作る」という姿勢は、それ自体は正しい。ただし、その自分の頭が考える土台は、自分のものではなかった。日本というインフラが、用意してくれていた。

そして、人間は、自分が受けてきた恩の源——恩源——がない世界を経験しない限り、その恩を自覚することが難しい。ヒロシはそのことを、自分の体で知った。

この気づきが、後年まで続くヒロシの知恩感覚の源流になった。

恩源がない世界を経験して初めて、ある世界が見える。
これは特定の層の話ではなく、すべての層に効いていく道具だった。

国層、点火 / 第一の知恩経路
第四章末 Pyramid of Life 国層に木が育つ。第一の知恩経路。

第五章 組織を率いて恩を知る

二十代のヒロシは、自分の集中力、習熟力、独創性で、相対パフォーマンス優位を築くゲームのなかにいた。十代後半に身につけた「濃い毎日」と「自分の頭で考える」が、ビジネスの場では結果として出ていた。マシーン性能を、ヒロシは誇りにしていた。

三十代になり、組織を率いる立場になって、視界は変わった。

個人がいくら走れても、組織が回らなければ、何一つ持続しない。マネジメントというのは、見えないところで誰かが日々判断と調整を続けている営みだった。それを引き受ける側に回って初めて、ヒロシはその大変さを知った。組織は自然に存在しているのではない。誰かが日々、その輪郭を保ち続けているから、明日も在る。

新興大企業という、急速に立ち上がり、急速に大きくなった組織の内側で、ヒロシはその脆さと、それでも維持しようとする人間たちの存在を、組織長として日々見ることになった。

組織を去っていく人間の中に、受け取った恩を残さず、外にだけ批判を残していく者がいた。ヒロシはそれを恩知らずだと感じ、強い憤りを覚えた。

そして気づいた。

二十代でパフォーマンス天狗だった自分こそが、恩知らずだったのだと。当時の上司、当時のマネジメント、当時の組織。彼らがどれだけ自分を支えていたか、自分の発揮を可能にしていたか、当時の自分はまったく見えていなかった。マシーン性能だと思っていたものの大半は、土台の上での発揮だった。

世界を歩いたときに国というスケールで気づいた構造が、組織というスケールで再び現れた。土台があるから、その上で発揮できる。それは国でも、組織でも、同じだった。

ただし、組織のスケールでの気づきには、もう一つの経路があった。「恩源がない世界を経験する」のではなく、「自分が支える側に回る」という経路。恩を知るのは、その不在を経験することの他に、自分が支える側に回ったときなのだ。親の恩、子知らず、というやつだ。

同時に、関わり方の多様性も知った。すべての人が同じ熱で組織に関わるわけではない。深く関わる人、浅く関わる人、通り過ぎていく人。組織はそうした多様な関わり方の総体として、辛うじて成立し続けている。

支える側に回って初めて、支えられていた自分が見える。
親の恩、子知らず。

我層・組層、知恩の遅れた成熟 / 第二の知恩経路

第六章 経営を持続させる重み

組織を率いる側に回って初めて、ヒロシは組織が誰かの手で日々保たれていることを知った。その経験は、ヒロシにもう一つのことを教えていた。組織の存在は当然ではない、ということだ。

これを身をもって知ったのは、家業を通してでもあった。

ヒロシは、経済優位の恩恵を受けてきた方だった。円が強かった日本で、中規模の会社経営をする家で育ち、比較的高給な職業に就いて、お金で苦労した記憶がほとんどない。だから感謝も薄かった。

二十代で、その業界全体が時代の波に飲まれた。家業もその直撃を受けた。父は、しんがりまで会社の責任を引き受け、関係者への筋を通して経営を畳んだ。生活水準は激変したが、父が長年の経営を通して築いてきた人間としての信頼や、社会への深い洞察は、何ひとつ損なわれなかった。父はそれを資本に、第二のフェーズを楽しむように生きはじめた。その姿は、ヒロシを鼓舞した。

経営という営みは、華やかでもあるが、必勝の営みではない。時代の波が一つの業界を消すことがある。それでも、最後まで責任を引き受け切る人がいる。組織の輪郭を、退き際まで保とうとする人がいる。経営の本質は、成立させ続けることだけではなく、終わらせ方にも宿るのだとヒロシは知った。

会社のスケールで起きたことは、国のスケールでも起きうる。ヒロシは、そう思うようになった。

終わらせ方のなかにも、品格は宿る。
そして、終わったあとに、もう一度始まる人の姿がある。

組層、点火(葉に翳り)

第七章 便利さに吸われるもの

ヒロシは、テクノロジーの利便性、人生や思考への影響を、強く感じる世代だった。インターネットとAIがなければ、人生はまったく違ったものになっていた。より創造的で深い時間を過ごすイネイブラーとして、テクノロジーから決定的な影響を受けた。

同時に、その使われ方に違和感を抱くようになった。スポイルテックという言葉でしか表現できない、何かが起きていた。

本来の技術進化は、価値そのものを大きくする方向に進むはずだった。けれども現代の技術は、労力を減らす方向にばかり進化した。コスパ、タイパ。価値を労力で割った効率ばかりが上がっていく。分子の価値は固定されたまま、分母の労力だけが縮んでいく。結果として、何も大きくなっていない。

もう一つの作用が、より静かに進行していた。擬似関係への、関係エネルギーの流出。アニメ、ゲーム、AI会話、推し活。現実の関係構築を回避させながら、人間のパッションをバーチャルに引き寄せ、マネタイズする。本物の関係には責任が伴うが、擬似関係は熱だけを抽出する。圧なき熱だけの関係。燃焼しているように見えて、何も生まない。

三つ目は、スナック化と行動誘因。体験は短く、軽く、即時報酬型になっていく。アフォーダンスとアベイラビリティが、人の意志を溶かす。選択しているように見えて、誘導されている。

これらは別々の現象ではなかった。技術が、人間の関係エネルギーと意志と時間を、現実層から引き剥がしてバーチャル層に閉じ込め、マネタイズする。それがスポイルエコノミーだった。

技術進化の速度に伴って、活用ルールの整備が必要になる。自動車の運転免許や速度制限のように。個人の規律、社会のルール、産業の方向。三つで同時に動かさなければ、流出は止まらない。

同じ技術が、人を解き放ちもすれば、奪いもする。
葉の色は、ひとつの枝の中で混じり始めた。

世層、点火(緑と茶の混在)

第八章 次世代に残す社会

五十歳のヒロシは、社会と個人の関係のあり方に、強い関心と危機感を持っている。

これまで層ごとに芽吹かせてきた認識は、五十歳になる頃には、互いに繋がりはじめていた。家族の支え、自分の頭で考えることの土台、日本という国の前提、組織を維持する労力、家業の脆さ、テクノロジーが人間に及ぼす作用、学校教育の方向性。これらは別々の話ではなく、一つの問いの異なる面だった。

社会のしくみが本当によく回っているとき、それを動かしている人たちへの感謝はもっとも薄くなる。よく機能している仕組みほど、誰にも見られないまま摩耗していく。十九歳の世界放浪で、ヒロシはこの構造を自分の身体で知った。それ以来、家のスケールでも、組織のスケールでも、世代のスケールでも、同じ構造に何度も出会ってきた。これは普遍的な認識の構造だった。

そしていま、その構造を社会のスケールで取り戻したい、と思うようになった。

母から受け取った「返しきれぬ恩を、次世代に送っていく」という基本姿勢は、五十歳のヒロシの中で、より具体的な形を持つようになっていた。

次世代のソース——彼らがこれから受け取るはずの恩の源——を、健全な形に回復して渡していくこと。それがヒロシが後半生を使おうとしている仕事だった。社会再生、と言ってもいい。

その社会再生の中で、いくつかの領域が特に重要だと、ヒロシは考えている。

その筆頭が、教育だった。陰のままだった層に、初めて意志が向いた。十九歳のヒロシが抱えた違和感は、後年取り組んだ国際比較の中で、日本の最大の課題として再び浮かび上がっていた。次世代のソースを健全に渡すという仕事の中で、教育を立て直すことは中核に位置していた。

もう一つは、スポイルテックへの対抗だった。技術が人間の関係エネルギーと意志と時間を引き剥がし続ける限り、次世代に渡すソースは痩せ続ける。これを止めることもまた、社会再生の重要な部分だった。

ヒロシはこれを、一人で動かせるとは思っていなかった。社会のしくみは、社会の中で動かしている人たちが連動しなければ変わらない。だから、社会の各領域のリーダーたちが連動して取り組めるようにする集まりを、ヒロシは始めた。

別々の発見だと思っていたものが、ひとつの構造の異なる面だった。
陰のままだった層に、初めて意志が向く。
受け取った恩を、次世代に送る。
母の章で芽吹いたものが、社会の章で実を結ぶ。

層が繋がる / メタ点火 / 物語の円環
第八章末 Pyramid of Life 層が繋がる。学校層に意志の蔦。月光が頂上を照らす。

エピローグ

これはヒロシという一人の人間の、認識の物語でした。
五十歳のヒロシが、ここまでの人生を振り返ったものです。

このエピローグでは、物語の中で起きていたことを、構造として整理しておきます。読み終わった人が、自分の人生にこの構造を当てはめてみるための地図として。

恩難照役

この物語を貫いていた一つの原理を、一語で表すなら、恩難照役(おんなんしょうやく)です。

恩を知り、難を知る。
受けてきたありがたさを知り、その恩源が揺らいでいると知る。
その二つが重なったとき、自分の役が照らされる。
人はそこで初めて、何を引き受けるべきかを知る。

この原理は、ミッションや志を、外から作り出すものとは見ません。すでに自分の足元にあるものとして見ます。ミケランジェロが「彫刻はすでに石の中にある、私はただ余分な部分を取り除くだけだ」と言ったように、人の役もまた、すでにその人の足元にある。それを覆っているもの——無関心、忘恩、鈍感、自己中心——が剥がれ落ちたとき、役が現れる。

ミッションは、作るものではなく、発見するもの。志は、可能性ではなく、必然性として立ち上がるもの。これがSONSの世界観です。

SONSは Success on Succession の頭字語です。継承されてはじめて、成功は意味を持つ。受け取らずにいま在る人は、一人もいない。一代で築いた成功も、次に渡されなければ、消えていく。

ちなみに、on は「恩」とも読めますし、sons は英語で「息子たち」を意味します。私たちは皆、何かを受け取った者です。受け取った者は、いずれ渡す側に回る。

ピラミッドと層

人は皆、ひとつのピラミッドの頂上に立っています。ピラミッドは七つの層からできている。最も高く狭い段(頂上)に自分自身()。下に向かって、家族()、地域共同体()、組織()、国家()、人類社会()、生命圏()。下に行くほど大きく、深い層が広がっています。

このピラミッドは本人が気づこうが気づくまいが、確かに存在しています(現実のピラミッド)。一方、本人の認識の中に育つもうひとつのピラミッドがあります(認識のピラミッド)。緑の樹木が段を覆っていくように、認識が育っていく。物語の各章で起きていたのは、この認識のピラミッドの成長でした。

三つの動き

恩難照役は、三つの動きでできています。

受けてきたありがたさを、知る。
その恩源が揺らいでいると、知る。
そのとき、自分の役が照らされる。

(知恩 → 知難 → 照役)

学校という層には、揺らぎだけが見え、ありがたさが来なかった。だから役は照らされず、陰だけが残った。国という層には、恩源がない世界を歩くことで、ありがたさと揺らぎが同時に立ち上がり、役が照らされた。組織という層には、支える側に回ることで、別の経路から同じことが起きた。不在経験と、支える側への移行——これが、役を照らす二つの主要な経路です。

SONS

ここまで、私の五十年を貫いていた構造を見てきました。同じ構造を、ヒロシも家族も国も登場させずに、もっとも純粋なかたちに煮詰めた短い寓話があります。森の奥に棲む、亀爺さんの話です。

寓話 — ある森での継承物語

あなたのピラミッド

頂上にあなたが立っている。足元には七つの段が広がっている。あなたの認識の緑は、いまどの段まで広がっていますか。色はどうですか。

未点火の層はありますか。陰のさしている層はありますか。

これは答えるための問いではありません。立ち止まって自分の足元を見るための問いです。

your pyramid diagnostic

あなたの幸せの源を可視化する

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